コラム

【質問箱より】プレイヤーの成長に限界はあるのか

こんにちは、エルムです。

今回はポッ拳ネットTwitterアカウントの質問箱に頂いた、下記の質問をテーマにゆるめのコラムを書きたいと思います。

「ゲームの習熟度の限界について」
ゲームの成長(プレイヤー)の限界について、ライターの皆様がどのように考えているか教えていただけると助かります。
例えば、正しい努力をすればプレイヤーとして誰しもが強くなり上手くなれるのか、そこに限界はあるのか?っていうニュアンスの意味の限界についてです。
よければ宜しくお願い致します。
コレ、お気付きの方もいるかと思いますが、以前クロスいがらしさんがこの質問をテーマを記事を書いています。
抽象的な話ですし、人によって回答も変わりそうで面白いと思ったので、僕の視点からもお答えしたいと思います。

この質問について

回答する前に、まず質問内容の確認です。
「プレイヤーの努力による成長には限界があるのか?そこに個人差はあるのか?」
ってことを聞かれているわけですよね。おそらく。
(プレイヤーの成長とは何かという話は、掘り下げていくにはあまりにアレなので、ゲームで勝てるようになる様々なスキルの向上、ぐらいな感じで一つよろしくお願いします。)

限界は、多分無いんじゃないかな

先に僕の結論を書くと、僕は限界って多分は無い、寄りです。
自分が限界見えてないのでハッキリと言えないですけど。
論理的な思考を前提に、やるべきことをやるべき量やっていけば(適切に努力を重ねれば)、誰でもどこまでも強くなれる、気がする。そうであって欲しい。
そのハードルの高さ、超えていくスピードには個人差あると思います。
あと、そもそも超えるべきハードルを見つける精度やスピードも差が出ますね。質問でいうところの「正しい努力」が何なのかをハッキリさせるところです。

ハードルを見つけられないと伸び悩みますよね。

まあ、同条件で複数人の取り組みを比べる実験でもしないと本当のところは分からないと思うので、なんかまあそんな気がするよね、ぐらいの感覚です。

あとプレイヤーの成長とは別に、使用するポケモン(キャラクター)の能力限界付近までいくことはあると思います。

使用するキャラでゲーム上できることは全部やった、ていう状態。
今回はあくまでプレイヤーの強さが焦点なので一旦置いておきます。

 

限界があるとすれば

ゲーム外の、人生の様々な要因によって、(ゲームに精力的に取り組める)限界が訪れることはあり得る話ですよね。
むしろこれで成長が止まることが殆どじゃないでしょうか。
実社会に生きる以上、ゲームに精力的に取り組める環境づくりから勝負が始まっていると言っても過言ではない。厳しい。

強くなること=負けないことではない

これ混同しがちだと思うんですが、強くなったからと言っても負けるんですよね。そして負けてるからと言って強くなっていないわけでもない。
(ゲームの内容を見よう・・・って話は置いておいて)
そもそも対戦ゲームの話なんで、相手も強くなろうと同じく努力しているのならば当たり前のこと。

ただ、強くなったら長い目で見た平均勝率は上がります。これはほぼ間違いなく。
自分より遥か格上の人としか対戦しない場合は除きますが。

まあでも、わからない

ここまで書いておいて何を言ってるんだコイツという感じですが……!

僕は限界まで成長した、と思える経験がないので正直分からないです。

僕も大きな大会の後とかにそれまでの取り組みを振り返ったりしますが、頭で思いつく「強くなるため、勝つために必要な全ての努力」を漏れなく完璧にやってきたかと言われると、イエスと答えられることは全くないです。
これは優勝してようが一回戦負けしてようが、同じ。
ポジティブに表現すれば、成長の余地が常にあるってことですね。だから限界じゃない。

もう限界と本当に言い切れるまで、ゲームをやりきった人が世にどれぐらいいるのかも分からないです。
それを他人がはかる術もない。

質問者の方のお役に立てたかは分かりませんが、僕の回答としてはこんなところです。

最後に一つだけ。
強くなるにはゲームの内容を振り返って、具体的な課題を途方もない数見つけて、一個ずつ解決していくしかないと僕は思います。
それではまた次の記事でお会いしましょう!

ABOUT ME
エルム
ゲームの中で特にポケモンが好きな人。ダブルバトルのプレイヤーを経て、アーケード版よりポッ拳にハマる。 スイクンをメインポケモンとし、WCSなどの海外大会に複数回参加。 コミュニティ大会運営団体「ポッ拳カントートーナメント」の代表。